100号(2023年1月発行)
Close Up あこがれの大人になるために。
一緒にいられることに感謝しながら、
穏やかに年齢を重ねていきたい
佐藤 和彦さん(仮名) 佐藤 久美子さん(仮名)
血友病A重症型で、現在56歳の佐藤和彦さん(仮名)は、20代のとき大学のサークルの後輩だった久美子さん(仮名)と結婚。3人の子どもに恵まれました。結婚前に和彦さんは別の病気も抱えていましたが、久美子さんは「条件ではなく、目の前にいる彼と一緒にいよう」と心を決めたと言います。「これからも穏やかに、普通に年を重ねていきたい」と語るおふたりに、血友病患者さんとそのパートナーとしての思いをお聞きしました。
制限は多くても、普通の学校生活を過ごせたことに感謝
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和彦さんが血友病と診断されたのはいつ頃でしょうか?
和彦さん 乳児の頃です。私が生まれる前に兄が血友病で亡くなっていたので、私の歯茎から出血していることに気づいた両親が「もしかしたら...」と思い、大学病院を受診して診断されたと聞いています。少し動くだけで足が痛くなったり腫れたりするので、物心がついた頃から「なぜ他の子たちと同じように動けないんだろう」と感じていました。両親からは、「血友病という病気なんだよ」「もっとおとなしくしないといけないよ」と言われていましたが、構わず走り回っていつも足が腫れているような子どもでした。
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学校生活はいかがでしたか?
和彦さん私が小学校に入学した当時は、養護学校が義務化されておらず、病気や障害があって通学が難しい場合は就学免除や就学猶予になることもあったようです。私の家にも教育委員会から就学猶予か就学免除の通知が届いたのですが、母が抗議してくれて地域の小学校に入学することができました。ただ、最初の1年半は通学できず、教育委員会から派遣された先生に自宅で勉強を教えてもらう「訪問教育」を受けていました。とても優しい先生で、今でもお名前を覚えています。その後は週1回通学して、あとは自宅で自分で勉強したり、兄や姉に教えてもらったりしていました。それで困ることはなかったですね。
小学校卒業後は地域の中学、高校に進学しましたが、体育はすべて見学。校内で動き回っていると、先生から「動いちゃダメ!」と注意されました。実際に、動くとすぐに関節が腫れてしまうので、欠席することも多かったです。中学時代は父親に車椅子を押してもらって登下校するなど大変でしたが、それでも地域の普通校で学校生活を過ごせて良かったと思っています。
「子どもを持つ」という決断と、生まれた子どもの存在に生かされて
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おふたりの出会いについて教えてください。
和彦さん彼女は大学のサークルの1年後輩です。サークル内では自分が血友病Aであることや、そのせいで足を引きずっていることを話していたので、彼女も最初から病気のことは知っていました。
久美子さん血友病がどのような病気なのかは知りませんでした。でも、サークル内には病気だからと彼を特別扱いする人はいなかったので、私も「そういう病気もあるんだな」「ちょっと体が弱い人なんだろうな」という感覚でした。
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ご結婚までの経緯を教えてください。
和彦さん大学院1年目のとき、医師からHIV陽性だと告知されました。加熱処理によるウイルスの不活性化をしていない血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用したことによる感染でした*。彼女とはすでに一緒に暮らしていたので、「出て行きたければいいよ」と言いました。もう自暴自棄になっていましたね。自分自身が怖くなり、自分の体から抜け出したくなりました。もちろん、彼女も怖かったと思います。でも出て行かず、ずっと一緒にいてくれました。
久美子さんHIV陽性と聞いて、「私も感染しているに違いない」と怖くなりました。彼にもずいぶんひどいことを言ってしまったと思います。ですが、少し時間が経つと気持ちも落ち着いてきて、「今すぐどうにかなるわけでもなさそうだな」と思うようになりました。家を出て行くという選択もあったかもしれません。彼がまったく知らない人だったら怖くて逃げ出していたと思います。ですが、出会ってから数年が経っていて、彼がどんな人かも知っていましたから。目の前の彼を見て「一緒にいよう」と思いました。
和彦さん私のほうは、告知後の2、3年でどんどん体調が悪くなって、死ぬことばかり考えていました。そんなとき、彼女の妊娠がわかったのです。身も心もボロボロで、自分の子どもを持つなんて考えようもなかったのですが、彼女は「産む」と言い張ってくれて。それで自分も生きていく覚悟を決めることができました。今思えば、ふたりで子どもを持とうと決めたことと、生まれてきた長男の存在が、私を生かしてくれたのだと思います。長男誕生後に、人工授精でさらに2人の子どもを授かりました。彼女がいなければ3人の子どもを持つことはあり得ませんでした。一緒に生きることを選んでくれて本当に感謝しています。
久美子さん家族が熱を出して寝込んだり骨折したりすれば、看病したりいたわったりしますよね。私の中ではそれと同じ感覚ですね。元々、血友病という病気があって関節が腫れたり痛くなったりしていたけれど、それにもう一つ病気が増えちゃったなというくらいの気持ちだったと思います。
- *:1980年代、非加熱製剤が治療に使用され、多くの血友病患者さんがHIVに感染しました(薬害によるHIV感染)。1985~1986年以降は加熱製剤が導入され、2000年代から遺伝子組み換え血液凝固因子製剤が登場し、現在では血液凝固因子製剤によるHIVへの感染を防ぐことができるようになりました。
病気や障害にのまれずに丁寧に生きていく
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現在の生活で困っていることや、今後、年齢を重ねていくうえで心配なことはありますか?
和彦さん歩くたびに足が痛むことです。年齢とともに、だんだんと階段をスムーズに上がれなくなってきたなと実感しています。定年退職後に世界一周旅行をするのが夢なので、それまで体力を温存しておきたいですね。
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久美子さんは、どのように年齢を重ねていきたいですか?
久美子さん穏やかに、普通に年を取っていくことが望みです。私たちにとっては、当たり前のことがとても貴重で、ありがたいことですから、私も彼もまずまずの体調をキープして、普通のおじいちゃん、おばあちゃんになっていけたらいいなと思っています。
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最後に、血友病患者さんやそのパートナーの方々へ、メッセージをお願いします。
久美子さん私たちが結婚した30年ほど前と比べて、血友病の治療は大きく進歩しました。これから結婚や子どもを持つことを考えている若い皆さんは、すでに適切な治療を受けていらっしゃると思いますので、足首やひざなどの痛みや腫れがあるときは少し優しくしてあげて、あとは心配し過ぎずに、パートナーの方と一緒に信じた道を進んでほしいと思います。
和彦さん子どもの頃、足や手が腫れて痛くなると「こんな大変な病気で、この先、生きていけるのか」と思うことが何度もありました。でも、治療を続けていれば意外と普通に生きていけます。だからこそ、自分の病気や障害にのまれずに、それらを受け入れながら丁寧に生きていくことが大切だと思います。
- ※ 最適な治療法や製剤輸注量・輸注回数は、患者さんごとに異なります。ご自身の治療については、主治医と十分にご相談ください。
- Close Up
一緒にいられることに感謝しながら、穏やかに年齢を重ねていきたい - Close Up
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~『ECHO』100号に寄せて~
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